[5]感動とは

わたしについて

それが声楽の場合は、なぜか許されているようなんです。
自分が発声した音声が、マイク、増幅装置、それからスピーカを介して、それを聴衆が聞いている・・・。

もともと設備の設計として、肉声による音楽演奏を目的としていないであろう競技場であれば、それは当然電気的増幅は必要となりますが、まさかオペラ劇場や音楽ホールを銘打っていて、増幅音声を聞かせるというのも、それじゃ口パクとかCD再生と変わらないよね(音声に限っては)、ということになりませんでしょうか。

かといって、声楽家は演劇の役者ではありませんから、そもそも演技(振付)そのものだけで観衆を感動させるような位置づけではありませんよね?

役者の演技を観ることで純粋に感動したければ、それは演劇を観に行くのが基本なのかなと思います。

よってオペラ(歌劇)に求められる最大の要素は、声楽演奏のみによって、人に非言語情報を含めて伝達することによって感動してもらう、ということなのだろうと想像しています。

ここのあたりを俯瞰した状況について、声楽業界に携わっておられる方々としては、いかがな風に考えているのでしょうか。

それで、声楽の頂点がオペラでの声楽演奏だとすると、もう、そこに焦点を合わせて、以下、街中の歌教室に至るまで、そういったマイクを通じた音楽活動を終局的には前提とした歌唱法が一般原則とされているわけですね。

ここに、別の音楽ジャンルの歌活動の代表格である、バンド活動におけるヴォーカリストなど、最初からマイクを用いることを前提としている音楽ジャンルを考えると、こちらは、もともとマイクでの演奏を想定していると思いますので、要するに、身体をフルに使って歌うのではなくて、演奏者の直情をそのまま音声として表現するように発声すればよいことになります。

甘い歌はささやくように、悲しく切ない歌はかすり声を振り絞るように、そして元気いっぱいで調子が良い場合は声がかれるのではないかというばかりに大声をあげて・・・。

もちろん、バンドのヴォーカリストは簡単だ(まるでカラオケで歌うように歌えばいいのだから・・・)、とか、そういったことを申し上げているわけではありません。

もちろん、ヴォーカリストとしてある程度求めらえる演奏水準でなければなりませんから(例えば、一番低位層の要求値としては、発声のリズムや音程感がある程度整っていること、とか)、このためのヴォーカルスクールは存在するわけです。

特に高音域など、破綻しやすい音域の発声技術は、ヴォーカル熟練者に学んだ方が何かと好都合でしょうから・・・。

逆に言えば、直情を前面に出した音楽であればあるほどに、その情感を如何に聴衆に伝えられるかが焦点となりますので、そういった意味では高難易度であるとも思います。

換言すれば、感情などがわかりやすい、というのが大事な要素になりますでしょうか・・・、例えは悪いかもしれませんが、わかりやすいという意味でいうなら、大手のハンバーガーチェーンのハンバーガーのように、化学調味料等で味付けしてある食事(塩分、スパイス、アミノ酸添加剤など)の味付け、これは一般的にはわかりやすい味付けということになりますよね、それと似ているのではないか、というように考えております。

もちろん、わたくしもファストフードは、それはそれで好きなので、何か、そういった類の食べ物について、マイナスの見解を申し上げているわけではありません。

★[6]なぜ声楽演奏がつまらないのかに続きます。

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