[6]なぜ声楽演奏がつまらないのか

わたしについて

一方で、声楽の場合は、上述の通り、もともとは実声での演奏が歴史的に考えても基本であって、そこで培われてきた発声法や演奏スタイル(他のアコースティックな楽器と共に演奏する状況)に基づいて発声法が発展してきたわけですが、第二次世界大戦後に実用化された電子集積回路による音声増幅技術を併用したとたん、上記のような一心不乱さの要素が低減してしまい、その代わりに直情を歌声に反映させるように歌う手法が広がった結果として・・・、要するにつまらなくなった、というように考えております。

まぁ、こちらも例えが悪いとは思いますが、鰹節と昆布出汁からなる精緻な日本料理が、インスタントな化学調味料(○○ダシ女房とかって、いつ頃だったかに宣伝されていた添加物製品ですね)に取って代わられた瞬間に、もう、味わい等は求められなくなったのかなと申しましょうか・・・(ちなみに、わたくしは料理もいたしますので、当然、日本出汁を取るのは手間がかかることは知っていますし、かといって、その結果として得られる芳醇かつ味わい深い味についても認識しています)。

それでも、まだ、合唱経験者とか、オペラとは瞬間芸術であり至高な芸術である、という観念が強い層の方から、声楽演奏というものはある程度支持されているとは思いますが・・・。

クラシック音楽って、確かに安寧さを前面に演奏するように指導されますが、これって、そもそも市場的にほぼ合奏を前提とした楽器や、ピアノであっても音楽の基礎素養として習う楽器の場合は、そういった要素も大切にしないと、そもそも合奏になりませんところから、致し方のない側面もありますが、歌手の場合は、唯一、その方だけがステージ上で音楽パートを構成しているので、その方向性で、いわゆるデコレーションケーキのデコレーションやトッピングにだけ注力しているかのような奏法が強調されているのが、本当に正しいの?という気は致します。

これが合唱ですと、パートごとに声の方向性を合わせなければならないという宿命が出てきますし、もともと声質も各人で異なりますので、その最大公約数的歌唱法が重用されるというのは、これも致し方ない面なのだろうとは思っています(しかし、本当にそうなのか、どうなのか・・・、あくまで最大公約数は簡便な解決法の一種という気もしないではないです)。

個人的な感覚としては、独唱を行う(あるいは独奏を行う)方は個人事業主的要素が色濃く思いますし、合唱や合奏を前提としている楽器奏者の場合は会社員的な性質が演奏の心得として求められるのかなというイメージです。

もちろん、独唱を行う声楽家であっても、重唱等と行う場合は、相手にある程度合わせて歌うということになるのかもわかりません(もしかすると、個性のぶつかり合い、というのにより調和を求めるのかもしれません)。

★[7]声楽と器楽についてに続きます。

タイトルとURLをコピーしました