[8]発声法の敷居は高い?

わたしについて

上述のような指導をする声楽家の先生の声楽個人レッスンや、その他声楽家からのご指導を受けたことはありますが(後者は合唱指導などを通じて、でしょうか)、結論として、あまり直截的なわたくしの歌唱技法が向上したことはありませんでした。

もちろん、声楽を習う者として、その業界における基本的な知識や所作など、数えきれないぐらいのスキルや経験値は勉強させていただいたのですが、終局、わたくしの場合は、高音域の発声改善には至りませんでした。

わたくしの場合は、どうも何らかの事情により、つい数年前までFis(高いファのシャープ)より高い音域での発声ができませんでした・・・、裏声でしか出せなかったんですね。(バリトンの場合、Gが楽曲に登場することもしばしばあるので、これだと歌える曲が極端に少なくなります。)

それはなぜなのか、もう、今はなんとなく分析できておりますが、合唱発声で言われる「息を流して!」という系統の発声法では、Fisより高音域は出せないような状況だった(身体的に無理、とまでは言い切りませんが、まぁ、発声範囲としては、例えば、筋肉の発達状態などの要素により身体には適していなかったのでしょう)、というように理解しています。

でも、巷の声楽教師は「息を流して!」「声を飛ばして!」「前に出すのよ!!」程度しか指導の声掛けができません(していません)ので、これって、要するに身体がざっくり骨と筋肉でできていて、終局、器楽自体も筋肉トレーニングの一環であるところ、なぜ、声楽だけがその筋肉のトレーニングという部分に直接的に焦点があっていないのか、というのが長年謎だったんですね。

わたくし、こう見えましても、実は、理系です(移動体情報通信エンジニアをやっております)ので、理屈に合わないことが、直ぐには受け入れられなかったんですね・・・、特に声楽業界の方々の好きなフレーズで「息を背中から回して発声して!」とかあるのですが・・・、いや、息は肺から喉を経由して鼻と口から出るんですよね・・・、背中から息が回るって、そもそもどういう意味ですか??、という具合です・・・。

もちろん、今では、そういった指導を通じて言いたいことはわかります・・・、要するに、背中側の筋肉も意識しつつ発声してね・・・、ということだと思うのですが、それなら、それと、直接的に表現してくだされば、もうちょっとダイレクトに意味が伝わったようには思います・・・。

芸術は、その人の感情を事物で表現するのが本来だとは思いますが、それは最終的な芸術としての表現伝達手段(成果物)においてであって(つまり、音楽なら音について、絵画なら絵を通じて、彫像なら物体を通じて、ということです)、指導中に科学的合理性が直ちには判別できない(つまり、ポエムな)言い回しをされると、結局、精度の悪い伝わり方にしかならないようには思います・・・、これが市民講座のように無料の場合ならまだしも、普通発声レッスンというと、有料の指導になるのが通常でしょうから・・・指導者側は、昔自分自身が発声指導を受けた時の指導内容を、今の受講者に忠実に再現しようとしているだけなのかもしれませんが、受講者側として混乱してしまう状況を招いているのは、いくらなんでもサービス提供者と消費者という法律的な立場の対比からすると、直ちに適切とは言えない状況なのかという気は・・・さすがにしますよね?!

ピアノの先生だって、ディミニエンドのフレーズを弾く際は、だんだん弱く鍵盤を弾くのよ、と、最初は表現されると思います(もちろん、演奏技術が上達するにつれて、その言葉だけでは言い足りなくなるため、もっと音楽的に味わい深い表現をするかも知れませんが・・・)。

★[9]わたくしの目指す発声法に続きます。

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