遺言能力について

遺言は15歳からできますが、その条件を満たしていたとしても、適切な方式による遺言書であっても無効となる場合があります。

本投稿で取り上げたい事例としましては、高齢化社会という言葉と、かなりの程度密接な関係とされている認知症の問題が挙げられます。

法律上は制限行為能力者として成年被後見人は法律行為をすることができないとされていますが、遺言については除外されています。

一方で遺言能力が無いとされる状態となっている場合は(成年後見開始の審判が無くても)遺言をすることができない、とされていますので、状況によっては、ちょっとご本人の意思に基づいた遺言書であるかどうか・・・と判断されることもございます。

遺言能力の有無で一つの尺度となるのが認知機能の低下の状態となります。

そして、遺言能力の有無について、制限行為能力者との関連で参考になる部分があるかと言いますと、実務上は病院において成年後見制度用の認知症の診断書を受領していただく、ということになりますでしょうか。

あるいは、遺言時に医師2名に立ち会っていただく・・・という方法もあるのかもしれません。

ここについては、当事務所よりも遥かに専門的なキーワードにより詳細に掲載されているサイトがございますので、もしも法的な側面について正確に把握されたいようであれば、そういったサイトをご覧いただければと存じます。

一概に認知症であっても、必ず遺言能力が無いとされるのかというと、決してそうというようでもない、というのが本当のところのようです。

また、一番問題として難しいのは、遺言書が効力を有するようになるのは、相続が開始してから、つまり、遺言者が亡くなってから、ということになります。

よって、その当時の状況について、もしも争いが生じることがある・・・つまりは、その遺言書が真に遺言者本人の自由意思に基づくのか、また、そういった状況であったのか、ということを、巻き戻って確認することが極めて難しい、というところに本当の難しさがあるように当職では考えております。

まぁ、これは、遺言書が例えば自筆証書遺言であったのだけれども判読のつけづらい文字でした、とか、そういった点についても、遺言者本人が説明できませんよ、という意味では同じことなのかもしれません。

認知症というと、長谷川式スケールなど、ある程度医療機関で用いられている認知症の診断方法がありますが、この診断方法で白黒的に判断が出るというものでもないようです。

それは、遺言内容との関連性もあるとのことで、本当にシンプルな内容であれば(例えば、全財産を一人に相続させる、とか)、ある程度認知能力が低下していたとしても、まぁ、そういったことも実際には判断し得るだろう(前記例でいえば、そのご氏名の方が日常的に介護されていた子供だったとか)、ということにようですし、一方で、A財産は甲にB財産のうち二分の一は乙に残り全部は丙に、といったように、ちょっとそこまで言えましたかね、という程度の難しい内容になってくると、否定的な判断がされることにもなってくるようです。

ちょっとそういった訴訟(裁判)にて判断される事態になった場合のリアルな状況は、当職では対応できない範囲となりますので、詳細にお知りになりたい方は、例えば、弁護士系のサイトでご確認いただく、あるいは弁護士に法律相談されるのが宜しいかと存じます。

ですが、行政書士として考えますに、仮に後日紛争が生じることがあったにしても、実際のところ、焦点が当たるのは、その遺言書作成当時の状況を説明することのできる記録であろうと考えております。

客観的な情報であれば良いのかもしれませんし、あるいは、日記を書くかのように状況を克明に書き記すのも良いのかなと想像しております。

そういった場合は、加除式の媒体ではなく、昔からある紙のノート(しかも糸で綴じられているのではなくて糊付け式ですかね、加除できませんから)に、油性ボールペンを使ってノートの最初のページから順番に隙間なく(隙間と言っているのは、ある日の分を記載したら、直後に線を引いて、ページの途中から翌日分を継続して記載する、というイメージのことを念頭に置いています)書いていくのも一手なのかな、という気がしております。

ここで、本投稿をお読みくださっている皆様が、どういった属性の方であるかにもよりますが、当職は、実は兼業先(複業先)が比較的公的な位置づけの職場でして、しかもなお国内で有数の機関によるチェック対象になっているという・・・ぐらいのところにいるんですね。

そうなりますと、何が起きるのかと言いますと・・・そうです、常に後日、第三者のチェック(チェックというと語感がぼやけますので、要するに監査、調査、審査、そういった類のものです・・・社内の場合もありますし、社外の場合もあるわけです・・・)に耐えられるような書類作成が、実は実務現場で求められる書類作成と共に大変に重要になってくるわけですね。

そういった、日常の業務として、第三者の監査(視線)と常に隣り合わせの業務に耐え抜いているわけです・・・。(笑)

よって、説明の一言、資料中の記載の一文(一単語)ですら、これを監査者目線、真反対の調査者目線(真反対と言っているのは、この文書や資料の粗探しをなんとかして行って、自分たちの監査の手柄にしてしまえ・・・というマインドが結果的にせよ働いているような存在のことです)だったらどう受け取るのかな??ということを常に意識して、かつ多角的(目先で判明している以外にも、監査者っているんですよ・・・思いもよらなかった方向から毒矢が飛んでくるものなんです・笑)に検討しながら、日々の業務書類を作成することになります。

皆様のお仕事で作成される書類って、そこまでシビアと言いますか、そこまで辛辣な側面の書類って、あまり作成されるのかどうか・・・いえ、これは、軽重を申し上げているのではなく、誠実に業務を履行するという意味では、どこの職場であっても同じだと思いますが・・・、そうではなく、直接間接的に提出した先ではない、全く別の意図を持って監査する人の心理状態まで想像しながら書類作成をするようなお仕事シーンってありますか??と申し上げているわけです。

さて、じゃ、その話題がいったい何を示唆しているのですか?と言いますと、ここで、先ほどの「遺言書作成当時の状況を説明することのできる記録」の作成に大きく関わってくるわけです。

その遺言者に関する記録をご親族その他の方が後日偲んでお読みになるのは良いとして、実際には、これが紛争状態となりますと、その記録を閲覧する可能性が出てくるのは、親族とは全く関係のない法律関係者となるわけです。

具体的には、訴えが起こされれば裁判官かもしれませんし、争訟の相手方の弁護士かも知れませんし、先ずは自分が選任した弁護士なのかもしれません。

いずれにしましても、法曹関係者であろうと想像いたしますが、要するに、法曹関係者は法律のプロなので法律上のルールに当てはめて、それに従った推論や結論を出すことには当然長けているわけですが、いかんせん、当時の状況をあまねく伝えていくことができるのは、その遺言書を作成した当時の状況を知る関係者だけですよね・・・(予め用意周到に弁護士でも遺言能力に関する将来的な争訟を想定しての対応まで業務依頼していない限り)、という点を、本投稿では強調しておきたいと思っております。

それも、情緒的抒情的な内容とか、客観性具体性を欠く内容とかですと・・・ちょっと争訟の場には通用しないかなという気もしますし・・・、まぁ、それでも何も情報が残されていないよりはマシかも知れませんが・・・、それを、誰が聞いた(読んだ)としても、なるほど!、という程度に理解されるような内容(素材)を集めて、それを文章化、それから外形的な観点での信用性を担保する(よって、加除式ノートですと、如何に内容が良くても、後から書いたんじゃないの?と思われるので避けた方がいいんじゃないか、とか・・・)、という点に十分留意しておいた方がいいように思いますよ・・・、ということとなります。

あとは、裁判的に法曹関係者の琴線に触れる文章・・・というと、なんだか文学的表現になってしまっていますが、要するに法律に規定されているような要件が端的に書かれている文章ですと、法曹関係者にも把握しやすいのではないですか、という意味になります。

それは、本投稿例では法律上の争訟に関する分野なので、こういった表現をしておりますが、大なり小なり、その業界や会社職場固有の単語や言い回しってのがあると想像しておりますので、わたし達は日常的に、そういったクローズドな関係者に対しては固有の単語や言い回しを多用してコミュニケーションしていることが殆どだと思います。

いえ、その業界や会社職場固有だけでなく、社会的に報道等で使われることによって顕在化する単語や言い回しってのもありますし、よく日本語だと省略語とかが登場しますが、それも、互いに把握しやすいといったことを目的として生成されるわけですよね(詳しくは、国語学者、社会科学者、それから文筆家の方に委ねますが)。

まぁ、最低限、いわゆる5W1H系の、誰が、いつ、どこで、何を、なぜ(どのような背景で)、どのようにして、といったあたりを明記しておく、というのは大切だと思います・・・それから、その記載を他者から得た客観的に証明できるような記録を添える・・・でしょうか・・・。

といったことで、長々書いてしまいましたが、ごく一般の方が将来的な争訟を予想して文章を書いたらいかがですか?と言っても、それってどうやって書けばいいの・・・となるとは思うところなのですけれども、一言で申し上げるとするならば、その現場にいない、あるいはその方のことや状況を一切知らない人に対して、如何にリアルに、またそれが法律上の争訟なのであれば法律で規定されている観点を抜け漏れなく書く、というのが肝要なのかな、ということに尽きますよ、ということになるかと思います(全然、一言ではないですね、すみません)。

最終的なジャッジは裁判官が判断(判決)するのだとしても、そこに向けて、細大漏らさず、正当な主張をできるといいのではないでしょうか・・・、という主旨で申し上げております。

余談ではありますが、当職も、複業先では技術文書を数多く書きましたけれども、やはり文書で技術仕様を規定するといったことも含めて、なかなか難しい作業ではあります・・・己の文章作成能力の低さを嘆いたことも数多かったですが、この場合であっても、自分が常識だとか当然と思っている事項は、読む相手方にしてみると、全く前提条件としての共通認識にならない場合が多いものなのだな、というのが、正直な結論となります・・・つまり、もともと、そういったものなんです世の中ってのは、ということを大前提として、そこで如何に自分にできることの最善を尽くすのか・・・ともかくも、これに尽きるようには思っております・・・。

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ありがとうございました。