遺言書の本質とは、相続人へのお手紙です

よく、遺言書を書きたい、という方からのご相談をお受けします。

遺言書というと、どう書いたらいいのか、何を書いたらいいのか、ということが気になっているようなのですが、それはごもっともなことだとは思います。

当職からのご説明としましては、遺言書とは、つとに、遺族(法定相続人その他の方も含むのでしょうか、ここではそういった点は捨象します)へのお手紙ですよ、という旨をお伝えしています。

お手紙というと・・・メールですか?!と質問されそうですが、確かにメールも現代的な意思伝達手段ではありますが、ここでは、昔ながらの郵便により送る手紙(専ら便箋に直筆で自分の心情や出来事を相手方に一方的に知らせる伝達手段)をイメージしてください。

タイムカプセルに収める遺族あてメッセージ、という言い方もできるかもしれません。

で、ここからが実質的な話にはなりますが、本当の手紙だと、受け取った方が読まなかったり、破り捨てたりすると、それで終わってしまいますし、そもそも「直筆で自分の心情や出来事を相手方に一方的に知らせる」だけでは、本当に言い伝えただけになりますので、法律側で、一定の様式に従って作成された場合は、法律上の効力(お墨付き)を与えましょう、みたいな感じになるわけです。

法律上の効力は、確かに遺族間にも有効になるかもしれませんが、最大の相手方としては第三者(例えば、不動産登記として相続登記をするとか、銀行の預貯金解約をするとか)への提示の際に効果を発揮する、という言い方もできると思います。

まぁ、そんな感じで、終始、お手紙なんです、ということになります。

もっとも、お手紙なので、要するに言ってしまえば、書きたいことは書けます。

典型的な内容としては、全財産を特定の方に相続させたい、ということですかね。

もちろん、書いてもOKではあります(それが直ちに無効になります、ということではありません)。

ただし、別の社会的な理由があって、だいたいのケースでは、限定的に効果を発揮することとなります。

詳細は割愛しますが、例えば、遺留分とか、そういった制約がありますよ、ということです。

それなので、性質は手紙ではありますが、いくらなんでも、好きなことを書き放題ってわけでもありません。

それでも、話が矛盾するようではありますが、自分が書きたいことを書けるという意味ではお手紙だということです。

なぜ、法定相続分とは異なる財産の配分を遺言書で指定したのか・・・その背景と自らの想いは何か・・・を、丁寧に書いて、将来、この遺言書が効力を有することとなった時に、それを読んでもらって理解してもらうために書く、そういった姿勢が全部否定されるわけではありません。

遺留分侵害的な内容の遺言書になってしまっていたとしても、それは遺留分侵害請求をするかどうかは、遺留分を侵害された可能性のある本人が最終的に判断することであって、その時のことを今の時点で心配して・・・というのも、なかなか難しいところではあります。

よって、話が最初に戻ってしまいますが、遺言書というのはお手紙ですから、例えばですが、事前に会って話すとか、電話で話すのでもいいのですが、関係者(法定相続人になりそうな方)には、日ごろから気持ちや考えをお伝えしておけば、必ずしも遺言書を作成せずとも(遺言書の方式に則って証書を作成せずとも)、その相続開始に関しては結果的には問題なく処理が行われるかもしれない、ということになるわけです。

もちろん、人の気持ちはその時になってみないとわからないものですから、必ずしも見込みの通りに事が運ぶわけでもないのかもわかりません。

といったところで、ちょっと結論が明確に出るような記事でもないわけですが、もちろん、一定の方式に従って遺言書を書くこと自体には樹文意味がありますので、もし書きたければ、書かれると宜しいかと思います。

それからですが、遺言書が作成されていたとしても、法定相続人全員の同意による遺産分割協議書の方が優先されますので、例えばですが、遺言書記載内容が叩き台となって、相続開始後に軌道修正された形で遺産分割協議書が作成される可能性もあるかとは思います。