遺言書作成の要否について完全に網羅しているというわけではありませんが、一部ご参考になればと思いまして、記載をさせていただきます。
当職が、皆様からよくご質問いただく内容としまして、「わたしの場合(=質問者様)、遺言書は書くべきなのでしょうか?」というものがございます。
それを、本投稿で、若干当職の独自の考え方にはなりますが、ご説明申し上げたいと思います。
なお、ここでは、あまり法律的な解釈について説明をすることは意図しておりませんので、説明の都合上、やや法律的な説明とは異なる説明をしていることをお断り申し上げます。
さて、そもそも遺言書とは何なのか、ということなのですが、遺言書とは、その方が生前に民法等の法令に沿って作成した文書が、その方の死亡によって効力を生ずるものであり、契約書などと異なり相手方がおらず、その方の意思のみで法律的に有効となる点が特徴となります。
その時点で、もうこの世にはいない自分の意思(より日常的な言葉で表現するなら遺志とでも言いましょうか)を、遺された方々に法律的な強制力を伴う形で言い残す、ということなるのですが、いずれにしても、当職が考える最大のポイントは「もう、この場には、遺言書を書いた方はいませんよ」ということだと思っています。
それがリアルに想像できる方であれば別ですが、なかなか、そこまで想像できるのかというと、ちょっと難しい部分もあろうかとは思います。
増して、「遺言書って、遺書のことか?、わたしはまだ元気なんだから、そんな死を感じさせるようなことなんて、縁起でもない!!」という感覚もあろうかとは思います。
もちろん、そういった印象を持たれるということも、日常的な感覚としてはあるのだろうと思います。
当職ならではの説明としては、こんな風になりますでしょうか・・・。
前提としては、子育てを経験された方々、ということになってしまいますが、例えば、兄弟(姉妹)を子育てしました、というケースであれば、兄弟ケンカというのは、程度の差こそあれ年少の時代には日常的な光景であろうかとは思います。
そんな時、親の立場でどんな声がけをされておられましたか・・・?
例えばですが、「二人とも仲良くしなさい!」みたいに親という立場で叱るとか、「あまりやりすぎてはだめよ」なんて感じで言い諭す(?)感じか・・・いろいろな言い方はあるかとは思いますが、全くの見てみぬふりってことだけはなかったのではないでしょうか・
下の子が泣いて親元に来ることもあるでしょうし、まぁ、逆の場合もあるのかもしれませんが、そういった、何某かの後始末的な関わり合いもあったことも一度は経験されているかとは思います。
話を相続に戻しますと、親が亡くなるという時は、統計的には、その子供が成人して以降のことだとは思います。
そうなりますと、さすがにもう幼かったころのような兄弟ケンカは起きないとは思います。
しかし、お互いに大人になってしまっている以上、逆に、腹を割って話すとか、そういったことが難しくなるケースもあるのではないか、とも思います。
例えば、大人になっただけでなく、社会的な立場も伴っていると本人が考えてしまっているとか(でも、家族のことなので、本来は社会的な立場云々は持ち込むべきなのかどうか・・・という気は、個人的にはいたしますが)、あるいは所帯を持っているために、いわゆる外野からの声が届く場合もあろうかとは思います。
そして、もし仮にですが、亡くなったはずの遺言者が、遺産分割協議をしている人たちに向かって「もっと仲良く分けろや、わたしは悲しい」なんてことを伝えられるのであれば、まるでギャグ漫画のようですが、かなり円満に収まる可能性も想像はいたします。
ですが、現実には、死は一方通行ですので、もう何も意思表示はできませんね・・・つまり、自分たちの子供に向かって「兄弟(姉妹)で仲良く遺産を分けてね!ケンカだけはしないように!!」と言えないわけです。
さて、ここからは、ちょっと変な話をさせていただきます。
あくまでも、当職の独自の表現ですので、あまり気になさらないようにお願いいたします。
人というものは、生まれて以降、通常であれば成人するまでの間、そのご家庭の中で養育されていくものだと思っています。
親としては立派に子供を育てたいよ、という気持ちもあるかとは思いますが、一方で親は聖人君子ではありませんので、いろいろな意味で子供と親との間で齟齬(摩擦)が生じることもあろうかとは思います。
それが、いわゆる一般的に言う反抗期という形で表面化することもあるとは思います。
お互いに生きてコミュニケーションできているうちは、ある意味お互いに牽制しあう場面もあるでしょうし、一方で融和する場面もあることでしょう。
そういった相互作用により人々は暮らしているものだと想像しております。
しかし、死によって、その片方(多くの場合は、子供より親の方が先に亡くなりますね)からの反応は一切なくなるわけです。
その喪失感を経た後、今まで牽制されてきていた感情が一気に噴き出すことを感じることもあるのかな、というように想像しております。
もちろん、程度の差は人により、あるいはご家庭により相当異なると思います。
とはいえ、一方的に抑圧されてきていたと思っている子供がいたならば、その子供にしてみれば、感情や記憶の吐露は高ぶるかもしれませんね。
そういった事象が、もしも各子供毎に発生したとしたら・・・でも、その感情の吐露がまっすぐに表現できなくて、例えば、「お前だけ上の学校の行かせてもらってズルい!」、「なんで、アンタの家を買う資金を補助してもらってんのよ!」みたいな表現になったりすることもあるのではないか?という気もしております(あれ?ホームドラマの見過ぎですか??)。
まぁ、前行の発言内容やその感情の吐露の辛辣さは、それこそ、ご家庭やご兄弟の関係によって様々だとは思います。
でも、そもそも論として、親の立場で、そういった光景(遺産分割で兄弟ケンカにより、互いに縁遠くなる事象)を望まれますか?
・・・さすがに、それは誰も望まないことではないでしょうか。
そのような事態を、できるだけ回避して、遺された方々がスムーズに各自の生活に復帰できるようにするためのツールが、遺言書としての重大な機能であり、そこに焦点を当てて作成されるのが、先ずは法律論以前の問題として第一に意識しなければならない点なのではないか・・・、そのように当職は考えております。
それなので、曲論を言えば、遺言書の作成は必須なのかどうか、という意味で問われれば、当職的には、皆様がご本人様がいない場であっても仲良く過ごすことができるというのであれば、絶対に必要、といったものでもないようにも思いますよ・・・、とはご案内しております。
(もちろん、行政書士としては、遺言作成支援業務で売り上げが立った方が有難いのは言うまでもないことです、正直申しますと。)
それなので、遺言書作成について迷われている方には、「一度、関係者の方(一般的には、親と子ですね)で、どういった遺言書内容にしたいのか、お話をされてはいかがですか?」とお勧めしております。
もし、そういった場で、「実は、お父さんは(お母さんは)、不動産は兄に全部引き継いでもらって、弟には貯金をある程度受け取るイメージでいてもらいたいんだ」とか、「お姉ちゃんには近所に住んでいて(一緒に住んでいて)いろいろ身の回りのお世話をしてもらっているから、弟にはその手間がない分だけ配慮して(≒姉よりは少なめにして)財産を渡すようにしたいと思っているんだよ」とか、ご自身の気持ちをお話になっていただくのが、一番良いのかな、という気がしております。
もちろん、それが可能な場合もあれば難しい場合もあるとは思います・・・が、大切なのは、ご自身の言葉で関係者に意思をお伝えになることなのかなとは思っています。
そのうえで、法律的な観点も含めて、適切な遺言書を作成されるのが、もっとも望ましい状況なのかなとは思っております。
このようなことを当職が申してよいのかわかりませんが、法律は決して万能ではないと当職は平生思っておりますし、法律というツールを前面に出して人の気持ちを仕切ろうというのも当職はお勧めはいたしません。
一方で、ある一定のニーズにより遺言書を作成する場合も出てくることもあろうとは思います。
それはそれで、状況にもよるとは思いますが、アリだとは思います(だって、もう仕方がないわけでしょうから)。
といったところで、なにやらいろいろと書いてしまいましたが、冒頭に戻り「遺言書を作成する必要がありますか?」という問いかけに対しては「状況によりますが、いずれにしても、皆様が多少なりともご納得されるような方向性で書かれるのも良いと思います」というのが一つの回答かとは思います。
当事務所では、皆様のお気持ちに寄り添って「こころの遺言相続」が実現できるよう、お手伝いして参ります。
お問い合わせはこちら↓からお願いいたします。
ありがとうございました。